スキルは「衝動」に勝てない―英語学校で起きた、ある奇跡の話
私は過去10年、南半球の多文化圏で暮らしました。
ある時、非常に印象深い出来事が、私の通っていた大人のための英語学校で起きたのです。
そこは、その国で生活する非英語話者のための学校で、生活に必要な言葉や情報の伝え方を学ぶ場所でした。
学ぶ内容自体は、文法や慣用句といった一般的な英語学習が中心です。
ただ、カリキュラムの中にプレゼンテーションがあり、定期的に発表会が行われるのが特徴でした。
日々の生活や仕事、育児に追われる大人たちが集まってくる教室です。授業中の空気は、お世辞にも活気があるとは言えず、いつもどんよりとした疲れが漂っていました。
プレゼンテーションの日も、多少の緊張感は加わるものの、クラス全体が活気づくようなことはありませんでした。
世界中から集まった生徒たちの話す英語は、各々の母語のアクセントが混じり、よく聞き取れないことも珍しくありません。
その上、人前で話すのが初めてという人も多く、なかなか内容が伝わるとは言い難いものでした。
その教室の「空気」を激変させたもの
ある日、中央アフリカ出身の女性が壇上に立ちました。
内戦で、父親や兄弟が目の前で殺され、 難民申請を繰り返し、なんとかこの国までやってきたと言う女性でした。
あまりにも壮絶な半生に、クラス中が引き込まれ、部屋は静まり返りました。
発表が終わった直後、あるエジプト人の女性(クラスの世話焼き係)が心配そうに質問しました。
「 それで、今は大丈夫なの?」
すると、その彼女はやっと笑顔を見せて、こう言ったのです。
「 今とても幸せなんです。子供も生まれました。夫の『第2夫人』として幸せに生きています」
この一言で、クラスの空気が激変しました。
それまで沈黙を守っていた世界各国出身の女性陣が、挙手のルールも忘れて一斉に口を開いたのです。
「 あなた第2夫人なの!」(タイ出身)
「 私生まれて、初めて第2夫人に会ったわ!」(東欧出身)
「夫は優しいの? 2番目で嫌じゃないの?」(ベトナム出身)
「 第1夫人に意地悪されたりしない?」(ブラジル出身)
「 そもそも、第2夫人なんて許されてるの?」(中国出身)
質問の嵐、そしてクラス中のおしゃべりは止まりません。
これまで相手の言ってることが理解できなくて、英語を学んでいたことなんて嘘のように、次々と飛び交う言葉を理解し、自分の思いを口にしていきます。
普段の授業の倍近いスピードで会話は進み、いつも眠たい目をした生徒たちに手を焼いていた先生は、ただ目を丸くして驚いていました。
あっという間に授業終了の時間となりました。
技術(How)では人は動かない
この場所に、私たちは、英語の「スキル」を得るために集まっていました。
しかし、英語の「スキル」を加速させたのは、技術として学ぶことではありませんでした。
「英語ができれば良い職につける」
「英語ができれば海外で活躍できる」
「英語ができれば良い学校に入れる」
世の中の広告は、「英語という技術(How)」があれば、 何かが手に入る、と謳います。
しかし実際には、英語という「手段」そのものが人を動かすわけではありません。
人は何によって動くのか(Why)
この原理に目を向ければ、マーケティングが抱える構造的な欠陥が見えてきます。
どれほど優れたツールを操り、精緻な指標を並べても、そこに「人間を突き動かす根源的な何か」がなければ、エネルギーは生まれません。
今のマーケティングに欠けているのは、この「第2夫人」の告白に一斉に身を乗り出した女性たちの「熱」を受け止めることのできる人間理解ではないでしょうか。
観察の結果を「言語化」する
言語や文化が違っても変わらない「人間の普遍的な反応」を見出すのに特別なツールや指標は必要ありません。
もちろん、それを理論として説明することは可能です。
しかし、実際に事業やプロジェクトを動かすためには、データからは見えてこない「言語化されていない変数」を丁寧に観察することが不可欠です。
ツールに依存するのではなく、観察の結果を「言語化」して捉え直すこと。
そのプロセスを経てはじめて、プロジェクトの現場に「人を動かす原理」を落とし込むことができるのです。
これは、どんな文化背景であっても、欠かすことのできないアプローチです。
最も強いカードは、すでに、あなたの手の中にあるのです。
(注:文中の女性の母国では、複婚が文化的に認められているが、この国では重婚は認められていない。 事実婚となっている場合が多い)